私なりの「地」と「図」を考える

去年の7月に

「日本語教育学のデザイン
  これからの10年に向けて、わたしたちはどのような一歩を踏み出すか」

というイベント(ワールドカフェ)に参加しました。

2015-07-11-13-30-15

その時の記事はこちらに ➡ 「これからの10年に向けて」

このイベントは

『日本語教育 学のデザイン ―その地と図を描く』

という本の出版記念のイベントとして行われたもので、

それに合わせてこの本を買ったものの、実は読んでおりませんでした(;一_一)

イベント行くときに読んでからって思ってたのに、結局読まず…
イベント終わってさっそく読もうと思ったのに、結局読まず…

ずっと本棚に並んでいましたが、

なんか今日急に読みたくなって、通勤の電車で読み始めました。
(正確には、「はじめに」の部分だけは前に読んでましたが)

ら、読んでよかった。もう読まないからと手放さなくてよかった、
なんなら、ずっと手元に置いておきたいと思うほどでした。

(って、まだ第1部しか読んでませんが)

タイトルの「地」と「図」はゲシュタルトの「地」と「図」をたとえに、

図:各研究課題、個別の研究や実践そのもの

地:図を成り立たせる社会的背景や課題と学問的背景、対象となる人々の
  くらしや、社会そのもの

として、

日本語教育学のデザインにおいて、「図」だけでなく、「地」を常に
意識しながらきちんと言及しなければならないだろう

という考えをもとに、

では、日本語教育の関係者(それぞれの人)の「地」や「図」とは?

日本語教育学・日本語教育関係者は地を踏まえた図をどのように描くのか?
(どのように社会的貢献をしていくのか)

ということを考えていくものです。

特に、第1部2章の「日本語教育学の体系化をめざして(2)
‐日本語教育関係者の社会的役割について‐」

を読んで、この本を読んでよかったと思えました。

東日本大震災で被災した著者が、未曾有の災害の中で、
自分の専門性を否定し

(この状況で自分には何ができるのか、自分のやってきたことが
いかに社会と無関係なことだったのかと痛感し)、

その後、「個としての自分そのもの」を現実的に確認できる
世界を模索する中で、

ことばを「関係性をつくるもの」や「社会をつくるもの」と
とらえ、

「ことばを通して社会と向き合う」

という実践、研究を行っていくようになり、

言語研究者・日本語教育関係者としてのアイデンティティ
を再確認していったという

筆者の経験が書かれています。

◆◆◆

小さい時からことばが好きで、外国人と接することも好きで、
違う文化に触れるのが楽しくて、たまたまなってしまった
日本語教師という仕事。(私のことです)

あんまり熱い思い入れがなかった分、ことあるごとに

・学習者にとって日本語を学ぶ意義って何なのか?
・そもそもことばを学ぶ意義って?
・教室でことばを学ぶことが本当の意味での
コミュニケーションを学ぶことになっているのか?

なんてことをいろいろ考えていて、

・日本語教育の意義って??
・私はなぜこの仕事を続けているのか?この先も続けるのか??

ということを考えることがありますが、

この文章を読み、私にとってこだわりたいのはやっぱり「ことば」
だなと改めて思いました。

社会の中で異なる価値観を持った人たちが、お互いのことに
関心を持ったり、理解を示したり、尊重したり、認め合ったり、
しながら生きていくためには、

「ことば」はやっぱり必要で、

よりよいコミュニケーションを取るために、どうやって
ことばを使っていくのかを学んでいくことが必要でしょうし、

よりよく生きていくためには、人以外のものからの言語情報
(新聞、ニュース、文学作品などなど)もキャッチしそれらと
対話することも重要だと思うので、

そのための「ことば」の教育に関わりたいんだなと。

特に、初級の授業をやってると、どうしても目の前の
教科書の文型にとらわれて、そういったことを忘れてしまい
そうになりますが、

目指すところや、今やっていることが何につながるのか
ということを忘れずにやっていけば、自ずと実践も
変わるのだろうなとも思いました。

そういう意味で、自分なりの「地」を持つことが重要なんでしょうね。

第2部はそれぞれの研究者・実践家による「地を踏まえた図」の
論文が続くそうなので、それも楽しみです。

この本が刊行されて、専用のホームページも作られています。
http://bonpublishing.wixsite.com/design

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